尚後哲を俟つ

読んだ本の書評やアマチュア野球の観戦記、日々の雑感をつぶやいていきます。

さあどうなる日本の賃金-渡辺努『世界インフレの謎』

はい、久しぶりの更新です。

読んだ本の感想を書きます。

 

読んだ本はこちら。

www.amazon.co.jp

著者の渡辺努は『物価とは何か』(講談社選書メチエ)が話題となった経済学者。

 

渡辺によると、現在の世界インフレは、ロシア-ウクライナの戦争を主原因とするものではなく、

コロナ禍における人々の行動変容により、「サービス」消費から「モノ」消費が増え、「モノ」の供給が追い付かないことによるのだという。

 

また、世界のインフレ率は確かに高いが、日本のインフレ率は現在喧伝されているほどは高くないのだという。この背景には、日本が海外からの輸入商品(原材料など)の価格上昇を、国内商品の価格に結び付けず、価格を据え置く日本の慣行がある。そして、商品価格が据え置かれるため、労働者の賃金も上昇しない。

このような慣行は諸外国には見られず、諸外国では原材料費などが値上がりするとそのまま商品価格も上昇する。それに伴って賃金も上昇する。こう書くと至って理にかなった反応のように見えるが、このような合理的な反応は日本では「あえて」行われてこなかった。国民のなかに、価格上昇に対する根強い忌避感情があるからだ。

本書のなかで例に出てきた、ガリガリ君の値段が上がったときに製造会社である赤城乳業がジョーク的に謝罪したことは、私もよく覚えている。

youtu.be

 

(しかし、言い訳的に値上げに向かっていくこの歌、なんとも日本的ですね…)

これは日本のなかではあくまでジョークとして受け取られたものの、アメリカでは、「輸入している原材料費の上昇による価格上昇を謝罪する」ことは奇異に受け取られ、新聞の記事にもなったようだ。

コロナ禍の2022年以降、諸外国のインフレを受け日本でも、ようやく物価が上昇している。ここで、物価の上昇に伴って労働者の賃金も上がっていくのか、それとも別の道をたどるのか。

どちらをたどるにせよ、渡辺曰く、

何十年に一度という大事な選択が、私たちに突き付けられていることは間違いありません。(p.204)

さて、私の賃金は上がっていくのかしら。自分事として捉えるしかないこの事象、もっと注視していきたい。

 

差し迫った国内の物価上昇の他に、個人的な関心を惹かれたのが、アベノミクスとこの問題の関係だ。本書では、日銀の「異次元緩和」など、アベノミクスの政策は賃金、商品価格共に据え置きの日本的慣行(渡辺は「ノルム」と呼称している)の変更を目的にしたのではないか、とされている。賛否が分かれるアベノミクスであるが、そちらの勉強もさらに深めていきたい。

なぜ社会人野球はマイナーなのか?

※本稿は、表題の件について考察していますが、筆者の経験不足・理解不足故にごく当たり前と思われることや的外れなことも記述していると思われます。それでも、個人的なメモ帳も兼ねて、書き記したいと思います。

 

 アマチュア野球ファン・社会人野球ファンの端くれとして、真剣に考えることがなかったような問いがある。あるいは、真正面から考えることを、意図的に避けてきたのかもしれない。

 

 その問いとは、「社会人野球はなぜマイナーなのか?」というものだ。

 

 先日、あるスポーツ好きの友人と、先月後半から今月初めにかけて都市対抗野球大会を観戦し続けた話をした。

 そのスポーツ好きの友人は、いろいろなスポーツをそれなりに知っており、無論野球についてもそれなりに詳しく、プロ野球高校野球について一般的な知識は持っている。

 ただ、「都市対抗」という大会の名前は、どうやら聞いたことがないらしかった。当然、「社会人野球日本選手権」も知らないようだった。

 こんな風に書いてはいるが、別段驚きはない。プロ野球等を中心に観ている方の、至極普通の反応だと思う。

 その後、その友人と、なぜ「社会人野球はマイナーなのか?」という議論をするに至った。以下に、挙げられた理由を書き連ねていきたいと思う。

 

①CS以外のテレビ放送が都市対抗・日本選手権決勝のBS-1での放送しかない

 まあこれは一番大きいだろう。プロ野球は、シーズン中では毎日BSでセリーグ2試合、パリーグも最低1試合はやっている印象だ。高校野球は言うまでもなく、春夏の甲子園を地上波のNHKで放送し続けている。BS朝日もやっているし、ラジオ放送まである。

 一方、社会人野球はテレビ放送が都市対抗・日本選手権決勝のBS-1での放送以外、地上波、BSでの露出はほぼないといっていいだろう(都市対抗の準決勝を中継していたこともあったようだが)。残りはCS、という話になる。日本選手権に至っては、CSですら全試合放送ではない。

 都市対抗にしたって、日本選手権にしたって、毎日新聞の中継サイトが存在するという声もあるだろう。確かにそうだ。ただ、ああいった配信サイトというものは、観る側が「能動的に」アクセスせねばならない。たまたまつけたらやっているわ、という状態には永遠にならないのだ。Youtubeやらその他の動画サイトが広まって、「能動的に」コンテンツを観る文化が広まっているとはいえ、一般に広めるにあたってはまだまだ「テレビ」の威力は巨大だ。

 かく申す筆者も、「社会人野球」というジャンルを初めて認識したのは、2005年の日本選手権決勝、NTT西日本VS松下電器がたまたまNHK教育テレビでやっていたのを観戦したときであった。とはいえ、現在のBSでの決勝だけを初めて見て、継続して観ようと思う人はどれだけいるのだろうか。「触れる機会」の多寡はやはり重要であろう。

②自分で情報を「能動的」に集めなくてはならない

 ①にも関連してくることだが、社会人野球はテレビだけを見ていても、ないしは新聞だけを読んでいても十分な情報が入ってこない(毎日新聞都市対抗・日本選手権の主催者でもあるから、例外的に詳細な情報を提供するが)。ネットでスポーツニュースをみていても、社会人野球の情報がニュースフィードに流れてくることはおそらく稀なのではないだろうか。となってくると、自分で情報誌である『グランドスラム』を買ったり、サンデー毎日増刊の『都市対抗ガイドブック』を買う、ないしは社会人野球に関連するキーワードを打ち込んでニュースを自分から検索するといったことも必要となる。各社会人野球チームはホームページだけでなく、TwitterInstagramFacebookのアカウントを開設し、情報発信に努めていることも多い。しかし、テレビとは違い、これらのSNSも基本的に「フォロー」などの行為が必要であり、情報受信者が「能動的」に情報を集めなければわからない。

 これはかなりのハードルではなかろうか。

 

③「観る」ための動機付けがどうしても低くなってしまう(?)

 社会人野球は、一般の人からすると「観る」ための動機付けが低くなってしまうように思われる。

 一番レベルの高いプレーを観たいならば、一般的には、MLBプロ野球を観ればよいということになる。(もちろん、社会人ならではの魅力的なプレーヤー、私はいると思うんですけどねえ…ただそれが知られるかというハードルも非常に高いし)

 プレーレベルを一旦脇に置いて、チームの物語や選手の物語を共有し、感動したいのならば、どうしても高校野球が一番わかりやすい。『熱闘甲子園』の放映もそうだし、一般紙を含めた新聞やネットニュースでもしょっちゅう取り上げられている。社会人野球にも、同じだけの物語はあるし(というよりもどのカテゴリの野球もそうだと思う)、その情報にアクセスしやすいか、し辛いかの違いだけなのだと思うのだが…

 今回話をした友人は、「高校生」というのはいわば特権階級的で、無条件で応援してもらえる素地があると話していた。是非はともかくとして、そういう雰囲気はあると思う。

 

④楽しみ方のハードルが高い?

 私自身、社会人野球の何を楽しんでいるのだろうと考えてみた。

 (1)選手のプレー

 将来プロ入りする選手だけでなく、トヨタ自動車の佐竹功年や鷺宮製作所の野口亮太など、(おそらく)これからのプロ入りはないであろう選手も、非常に秀逸なプレーを見せる。そういった技術と技術のぶつかり合いが面白い。

 昨日も録画していた都市対抗をみていて、日本製紙石巻の塚本峻大や齋藤侑馬の、球速はないものの美しいピッチングに魅了されていた。準決勝のHondaの佐藤竜彦の弾丸ホームランは、プロでもそんなに観られないと思う。

 (2)チームを巡る物語

 企業チームならば、そのチームはどのような企業で、どのような歴史を持っているのか。地方ならば、所在地の地域経済にどのような影響があるのか。地元ではどのような存在感を持っているのか。社風はどんな感じか。そんなことが凄く気になる。そして、今年はなかったものの、応援席で応援を観ると、その一端が垣間見えたり垣間見えなかったりする。

 去年の都市対抗JR四国高松市)の応援席に座ったが、横に高松出身という方が座られて、野球を観ながら山陰と四国の経済比較や地方トークが盛り上がったのを覚えている。そのチームが背負う「地域」を深く知ることができる機会があるのが面白い。「経済」ということが絡んでくる以上、高校野球よりも「地域」をより深く、切実に知られるんじゃないかと思ったり。

 ないしは、本年度限りで休廃部が決まっているチームの戦いぶりも注目したくなる。例えば、永和商事ウイング(四日市市)は、本業のコロナ禍による不振もあり、本年度限りで硬式野球部を休部すると決定したが、「最後」となった都市対抗の東海二次予選で鬼気迫る戦いぶりをみせた。

 クラブチームなら、クラブチームの設立背景、どんな環境で練習をしているのか、地域とどのような関わりを持っているのか…ということがより気になる。今年の都市対抗本大会に初参戦で初出場したクラブチームであるハナマウイ(富里市)も、調べていくうちに好きになったチームだ。

 (3)チームが勝ちあがるための戦略

 社会人野球の部員は、一番多いチームでも50名はいない。潤沢な戦力があるとは言えないチームならば、「戦略」が大事になってくる。

 特に社会人野球独特の「戦略」のカギになってくるのが、都市対抗野球大会における「補強選手」制度だろう。これは、都市対抗本大会に出場したチームが、予選で敗退したチームから3人まで選手を補強できる制度だ。

 この都市対抗における「補強選手」制度は他のカテゴリーの野球では類例のない制度だ。しかし、この補強選手を上手く活用できるかどうかが、勝ちあがれるかどうかのカギを握っていたりする。

 今大会、初の8強入りを果たした四国銀行高知市)は、同地区で予選敗退したJR四国高松市)から3人の選手を補強した。プロ注目の遊撃手・水野達稀は6番に入って打線に厚みをもたせ、2回戦の強豪・パナソニック門真市)戦では貴重なタイムリーを放った。2回戦ではエースの菊池大樹を5回からリリーフした山本凌が9回まで相手打線を1点に抑え、勝利に貢献した。部員わずかに21名の四国銀行の弱点である、クリーンアップの次を打つ打者と、救援投手の穴を埋めた、見事な「補強」だったといえる。こういった独特の制度を含めた「戦略」が面白いと思う。

(4)大学野球出身の選手の活躍

 私はもともと大学野球のファンである。大学野球ファンとしては、その選手の大学卒業後はどうしても気になるものだ。例を挙げれば暇がないが、自分が間近にプレーをみた、東北福祉大大学野球選手権優勝に貢献した三菱自動車岡崎の中野拓夢や、上武大のセガサミーの市根井隆成、ENEOSの小豆澤誠、JFE東日本の鳥巣誉議がプレーしている姿を観ると無条件に嬉しくなってくる。

(5)未知の球場、地域に行くのが楽しい

 都市対抗や日本選手権の予選は、各地方で行われるし、JABA大会は全国各地で行われている。首都圏で行われているものに限ってみても、様々な球場で行われている。新幹線やら電車、さらには深夜バスなどを乗り継いでそれらの地方球場を味わうこと自体、意義深いと思う。試合まで間があれば、その地域を少し観光することも可能である。周辺の史跡をめぐることもよくある。

(6)独特の応援

 ENEOS、Honda鈴鹿セガサミーJR東日本JFE東日本…などなどわざわざ例を挙げるまでもないほど、様々なチームが独特の応援を繰り広げている。これは、プロ野球とも高校野球とも違うものだ。それらの応援を見聞きするのは、非常に楽しい。

 

 これらの話を、その友人にもぶつけてみた。反応としては、(1)はわかるのだが、(2)、(3)、(4)、(5)は少し視点としては敷居、ハードルが高すぎるとのこと。(6)は現地に行ってみないとわからないということだった。(4)は大学野球ではなくて高校野球出身の選手ならまだわかるという話なのかもしれないが…結局同じと言う気もする。

 正直、至極真っ当な反応だと思う。

 

⑤地域によって温度差がある?

 私の出身地の鳥取には、JABAに登録している社会人野球チームが存在しない。お隣の島根にも、クラブチームが1チームあるだけだ。これでは、社会人野球について想像すらできない。都市対抗に「鳥取市代表」や「米子市代表」が出る可能性は現状、ゼロなのだ。これでは、「社会人野球」自体知ることができない。

 もちろん、その地域に社会人野球チームがあるからといって、それが存在感を放つかはまた別の話だろう。ただ、前の職場にいた浜松出身の方は、特に社会人野球に詳しいわけではなかったがヤマハの野球部の存在は知っていたし、茨城県日立製作所-日本製鉄鹿島の試合があそこまでの集客力を見せることを鑑みると、チームがあるか、ないかによる温度差はやはり無視できないと思う。

 

他にも、様々整理しきれていない理由が挙がったが、パッと思いついたのはこのあたりの理由だった。

大学野球が全体的にはマイナーと思われる理由とも、連動してくる面はあると思う。

また、本稿はあくまで、「社会人野球がなぜマイナーなのか」について私見をもとに考察することを目的にしたものであり、それ以上でも以下でもない。

「マイナー」だというのも多分に臆断が入った表現だし、何かの数字に基づいて書いているわけでもない。現状を変えたいとして、変えるためにどうしたらよいか、ということはもちろん想像もつかないし、変えるのがよいのかすらわからない。

社会人野球観戦記 JR千葉-三菱日立パワーシステムズ(社会人野球日本選手権予選)

さて9月2日の回想の続きにお付き合いいただこう。

2戦目はJR千葉-三菱日立パワーシステムズMHPS)。
正直1戦目が今日の目玉と思っていた。試合内容を見ても、背景にあるストーリーを見ても、11月の今から振り返っても、それはまあ妥当だ。

ただ2戦目は2戦目で興味深い。
まずはJR千葉。JRのいわゆる支社チームだ。見たことない。フツーにアマチュア野球見ていても、情報がほとんど入ってこない。手にした日本選手権予選のパンフレットで、やっと詳細な選手の名前やデータがわかった。
昔は各県の鉄道管理局毎にあった硬式野球チームだが、国鉄民営化に伴いJR各会社のチームに吸収。しかし、支社内では野球クラブ(同好会のようなもの)は存続する場合があり、その後、支社の単独チームとしてJABAに再加盟したチームがいくつかあるようだ。JR千葉、JR秋田、JR新潟、JR盛岡、JR水戸がそれである。JRの凄いところはそれらがすべて企業チーム扱いというところだ。同じように東日本、西日本にチームを集約化したNTTの場合にも、集約に反対して残ったチームがいくらかあったようだが、それらは全てクラブ化している。信越硬式野球クラブ(NTT信越→NTT信越硬式野球クラブ)、東北マークス(NTT東北→NTTグループ東北マークス)が著名な例だ。どこまでを含めるかは微妙だが、集約化前のNTTチームの精神を受け継ぐクラブチームとしては松山フェニックス、愛知ベースボール倶楽部がある。まあしかし、いずれにせよクラブである。JRみたく支社内で完結させるどころか、そもそもNTT自体とのつながりが稀薄なんだろう。
しかし、JR支社チームはそうやすやすと選手集めができないようだ。やはり、他の企業チームとの試合でも苦戦を強いられる。しかし、あくまで登録は企業チームだから、企業チームが出場可能な大会しか出られない。いっそクラブチームにして、クラブチームのみの大会にも出られる方が現実的な目標もできるのではなかろうか…なんて思ってしまうが、僕には計り知れない色々な事情があるんでしょう。ともあれ、MHPS相手にお手並み拝見だな。
さて、三菱日立パワーシステムズMHPSという名前はよく聞く。私が初めてグランドスラムを買った2006年には、確か三菱重工横浜という名前ではなかっただろうか。横製という略称よりも、今ではMHPSという略称が板についてきた。三菱ふそう川崎なき今、神奈川の唯一の「三菱」だ。日産自動車の廃部以降、着実に力をつけ、二大大会の常連となった。強豪・JX-ENEOS都市対抗出場が厳しくなっているのも、このチームの存在によるところが大きいだろう。MHPSへの名称変更以降は、2014中日の伝説(?)のドラフト1位、野村亮介が有名な出身選手だろうか。
さあ1回表、JR千葉の攻撃。MHPSの左腕・三小田章人(文徳高)を捉えられるか。三小田は三菱重工長崎に6年間もいて、合併を機にMHPSにやってきたピッチャーだ。暑いからかき氷を頬張りながら注視しよう。
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まず1番石橋好古(千葉工大)はなんとなかなかお目にかかれないバスター打法。なかなか攻めてるな。三小田の重い直球に振り遅れているが、変化球を中前安打とする。そして2番田中伸樹(千葉経大付高)はバントで送り、一死二塁の好機。よし、先制して慌てさせよう、と思ったが…
3番松岡雄基(東総工高)、4番岡野直人(千葉商大)は速球にいずれも力のないセンターフライ。先制機を逸した。この時点で「なかなか厳しいなあ…」と思わされた。
1回裏、代わってMHPSの攻撃。JR千葉の先発は木内聖弥(淑徳大)。
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右のスリークォーターで非常に力感のないフォームだ。120キロ台の速球と100キロ程度のカーブの緩急が持ち味のようだ。しかし1番八戸勝登(西南学院大)はその緩いカーブを狙い打ち、ライトへ引っ張って二塁打とした。2番常道翔太(東海大)もカーブを狙い打ってセンター前へ。あっという間に1点だ。そしてその後2四球で無死満塁の後、5番久保皓史(富士大)が右犠飛でさらに1点。6番二橋大地(東日本国際大)も中前打。あっという間に0-3。そして8番平野智基(日体大)がレフトへ会心の3ランホームラン。打ったのはシュート?だったか。
一気に0-6。うーん、MHPSが慌てる姿を見たかったのだが、現実は厳しい。よーいどんで6点入るのが、純粋な実力差なんだろう。
残念ながら大勢は決してしまった。しかし、この後JR千葉はMHPSに食い下がった。特に白眉が2回表だ。5番、6番が三小田の重い直球の前に連続三振。しかし7番齋藤昌誉(銚子商高)が変化球を打って三塁線二塁打(「打った自分がビックリしてるぞー」とのJR千葉のベンチからの野次は笑ってしまった)。そして8番芝崎淳(市原高)が左前安打を打って齋藤を本塁に迎え入れた。1-6だ。畳みかけたいJR千葉は9番に早くも代打石橋健太(国際武道大)を送るが、あえなく三振に倒れてしまう。しかし、実績のある三小田に対して、下位打線の「おっ」と思わせる攻撃だった。
JR千葉・木内も立ち直った。2回裏のMHPS打線に対し、シュートやカーブといった変化球が決まりだす。3番鶴田翔士(九州国際大)、5番久保に四球を出すもののピンチを切り抜ける。3回裏も0点に抑えた。この木内投手は、クラブチームとの他の試合では外野手で出場することもあると後に知った。しかしJR千葉はその後4回表まで、まともにランナーも出せない。
4回裏。再びMHPS打線が火を噴く。2四球ののち暴投で一死二、三塁の場面で、久保が左中間二塁打で2点追加だ。ここでJR千葉は木内を諦め、投手に武居亮介(国際武道大)を送る。
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力感のない右投げのスリークォーターだが、この武居は実は捕手登録だ。どうなるかな、と思われたが、続く二橋を遊ゴロ、久木田を中飛に抑えた。その裏のJR千葉は、調子の良い芝崎が遊撃内野安打で出塁するも、後が続かなかった。
ここまで来るとMHPSも選手を何人か交代し、調整に入る。実力差のある試合だから、これも致し方ないんだろう。5回裏は、二死一塁から途中出場の塩見泰史(関東学院大)が緩いカーブを狙い打ちして三塁線突破二塁打で1-9。さらに3年前の大学選手権で見た成田昌駿(中央学院大)も右前安打して続いたが、4番河野が見逃し三振でこの回は終了した。
6回表からMHPSは三小田から松田浩幸(近大)に継投。左オーバースローから力強い速球を投げる。JR千葉の田中に四球は出したが、岡野を併殺打に打ち取って3人で切り抜けた。6回裏のMHPSの攻撃は、武居が意地で0点に抑えた。
7回表のJR千葉の攻撃。7回7点差でコールド制のあるこの大会では、2点以上取らなければこの回で試合終了だ。JR千葉は代打攻勢に入る。5番の代打鎗田直哉(東洋大)は二ゴロ。続く代打鈴木将(君津商高)は中前安打も、その次の代打中本浩平(国際武道大)は遊ゴロ。最後にこの試合唯一当たっている8番芝崎に全てをかけたが、あえなく三振に倒れ、ゲームセットだ。

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1-9。まあ予想できた結末だった。しかしJR千葉もよく食らいついたんじゃないかな?正直完封負けも覚悟していたので。アグレッシブな攻撃はよかったし、投手陣2人とも癖が強く、面白かった。しかし、選手名簿を見ても30歳超えの選手がかなりいるが(外野手は全員そう)、本当に集めてはいないんだな。たまたま集まった、やりたい人同士でやっているんだろうか。大卒選手の比率も半分弱といったところで、ほとんど千葉県内の高校や大学の出身選手ばかりだ。「地元のチーム」なんだろうな。さすがに強豪企業チーム相手では分が悪い気はするが、クラブチーム等を相手にしたとき、どんな試合をするのかは見たくなった。こういうチームのことはなかなか調べても出てこないことが多いが、もっと知りたいところだ。

鳥取人にとっての社会人野球、思うこと

(ことしの都市対抗期間中に書いたFacebookの投稿を転載)

今、都市対抗野球が熱いです。特に出場唯一のクラブチームである信越クラブ(長野市)の、JR東日本東北(仙台市)への健闘は感動しました。今回はジャイアントキリングはならなかったけど、NTT信越からクラブチーム化して約20年、まだまだ健在であるところをまざまざと見せつけてくれました。部員数は他の企業チームと比して少なく、クラブ存続も安泰ではないようです。選手たちはNTT関連の企業を中心に様々な企業に所属しているようですが、練習環境も決して恵まれたものではなく、地域社会の協力もあったに違いありません。地方出身の私からすると、「おらが町のチーム」にはやはり凄く思い入れがありますから、そのチームをなんとか繋げたい、という方たちの気持ちはよくわかります。
 私は鳥取県鳥取市の出身ですが、もともとの実家は鳥取県米子市にあります。現在、鳥取県内で活動している硬式の社会人野球チームはありません。昔、王子製紙米子というチームがありましたが、王子製紙本体の野球部に吸収されました。一昨年、甲子園に出場した米子松蔭高校の笠尾幸広監督は、六大学の法政で活躍された選手でしたが、王子製紙米子でプレーをされていたと聞いています。鳥取市から米子市に車で向かう際、日吉津村に入ったあたりで、王子製紙米子工場の偉容が目に入ります。そして、あの製紙工場特有の匂いが鼻につき、「あー、米子に帰ってきたな」と毎回思います。王子製紙米子の野球部は結局社会人二大大会への出場はかなわず、その歴史に幕を閉じましたが、王子製紙は今でも米子の象徴の1つです。野球部の活動拠点だった「王子球場」は、今でもあるようです。
 さて、私の出生地たる鳥取市には社会人の硬式野球チームはありませんでしたが、軟式の強豪チームがありました。下の記事に出てくる、三洋電機鳥取(旧称・鳥取三洋電機)です。このチームは、私の母校である鳥取東高校のほど近く、同じ鳥取市立川町にあったチームです。野球部の練習グラウンドも、下校時によく見ていました。私は幼稚園も同じ立川町の修立幼稚園であり、幼稚園時代の運動会を三洋電機の体育館でしたことを微かに覚えています。そんな身近なチームの野球部が全国制覇をしたのが私の高校3年の時です。これは本当に嬉しかった。鳥取のような田舎で、自分の眼と鼻の先にあるようなチームが全国優勝するなんて、なかなかない経験だったのではないかと思います。甲子園では初戦敗退が多く、大学以上のチームも少ない鳥取県の球界ですが、鳥取野球の「強さ」をまざまさと見せつけてくれた優勝でした。
 鳥取東高校近くに広がる三洋電機の工場群は、企業城下町たる鳥取市の象徴でした。しかし、不況の波に晒され、三洋電機は消滅し、この記事の次の年にはパナソニックの傘下に入ります。野球部はパナソニック鳥取と名前を変え、全国2連覇を果たしました。しかし、さらに次の年にはパナソニックの経営方針により鳥取軟式野球部は廃部となり、クラブチーム化。今でも活動は続いているのかは、よくわかりません。三洋電機の工場群も今はもうなく、工場跡地は更地になったり、県が誘致した別の企業の工場が入ったりしているようです。
 廃部が決まったいすゞ自動車都市対抗野球で全国制覇し、有終の美を飾った例を持ち出すまでもなく、突然チームが出来たり、なくなったりするのが社会人野球です。しかし、もう私には鳥取に応援すべき企業チームがなくなってしまったのかなあと思うと、やはり少し寂しいです。
 今回の都市対抗では、一番地元に近いJFE西日本(福山市倉敷市)とシティライト岡山(岡山市)を応援しています。いつか鳥取にもまた企業チームが出来てくれることを期待しながら、明日の両チームの健闘を祈っています。

↓2011年9月23日付け、三洋電機鳥取天皇賜杯軟式野球大会優勝を伝えるスポーツニッポンの記事
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/23/kiji/K20110923001676330.html

社会人野球観戦記 オールフロンティア-明治安田生命(社会人野球日本選手権予選)

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社会人野球日本選手権予選を観戦に、9月2日は大田スタジアムまで行っておりました。

この球場に来るのは実は2年ぶり。2017年秋季の東京新大学野球リーグ以来。あの時は最終節にも関わらず、4校に優勝の可能性があって、スゴかった。

久しぶりに「伊勢屋のおにぎり」が食べたいなあ…と思ったのもあります。あと、あまりお目にかかれない3チームが見られる。

3試合のお品書きはこんな感じ

オールフロンティア-明治安田生命
JR千葉-三菱日立パワーシステムズ
SUNホールディングス-日本製鉄かずさマジック

たらたら試合の感想でも書いていきましょう。まず9時プレイボールのオールフロンティア-明治安田生命から。
オールフロンティアの先発はエース・高橋京介(青学大)。実は高橋京と明治安田生命は並々ならぬ因縁がある。都市対抗野球本選で、JFE東日本に補強された高橋京は3回戦の明治安田生命戦に先発。粘り強いピッチングで試合を作った。明治安田生命は9回にセガサミーから補強した陶久亮太(東農大北海道)が崩れたのが痛く、逆転サヨナラ負けを喫したが、高橋京を攻めきれなかったのが後々響いた形だった。
そんな高橋京は、今日も明治安田生命を苦しめる。速球は最速でも130キロ台後半だけど、打者の打ち気をそらすピッチングがいい。特にあの鋭いスライダーはなかなか打てない。力感のない「やる気あんのか?」って感じのフォームから、とにかく内外角を目一杯、丁寧についていく。あっと驚くものはなくても「勝てる」投手なんだろうな。高橋京は秋田の本荘高から青学大だが、大学の大先輩の石川雅規(秋田商)を思わせる経歴、スタイルだ。
明治安田生命の先発は高橋裕也(明大)。大学時代から名前は聞いていた。140キロ台前半ながらノビのある直球で押す。老練な古田康浩(佛教大)かエース大久保匠(明大)のどちらかが投げるかな、とも思ったのだが、違った。「両高橋」の対決だ。
試合の前半は、その両高橋がよかった。明安は、オフロ高橋京の緩急自在のピッチングの前に、得点機は作るものの抑え込まれる。特に4回裏、一死一、二塁で4番泉澤涼太(中大)を外角の変化球で併殺打に打ち取ったあたりが出色だった。対するオフロも、明安高橋のストレートが打てない。あまり精度の高くない変化球(カーブ、スライダー)を打ってチャンスは作るが決定機を逃し続けた。
先制したのはオフロ。5回表、下位打線で作った一死一、三塁のチャンスから1番石野佑太(関東学院大)の二塁併殺崩れで先制。その裏、高橋京は二死二塁のピンチを凌いで、球場が「おや?」という雰囲気になってくる。
6回表。流れを変えたい明安は、リリーフに黒萩幸生(立大)を投入。最速140キロの直球と、130キロ台前半で曲がる変化球(スライダー?)が見事だった。オフロ打線を三者凡退に抑え、流れを呼び込む。
6回裏、明安は一死から1番高瀬雄大(明大)がセンター前安打。これを、冒険したセンター小林航(立正大)がはじいて高瀬は二塁へ。続く大東孝輔(立大)が三遊間突破安打。一死一、三塁となる。そして3番新城拓(中大)が左前に同点打を放った。しかし続くチャンスは4番泉澤、5番大野大樹(早大)がいずれも詰まらされた左飛、一飛に抑えられる。共にスライダーだった。
さあオフロは勝ち越したい。7回表、一死から6番齋藤湧貴(国学大)が左前安打で出塁。そして続く関康幸(東北福祉大)の深い二ゴロで二死二塁。さあここで力投の高橋京の女房役・浅賀大輔(東日本国際大)がバッターボックス。すわ決めろ、と念じたが(僕はもうオフロに肩入れしてしまっていた)、黒萩の直球の前に中途半端な打撃で一ゴロに倒れた。立大時代から勝負所のリリーバーとして投げてきた黒萩の前ではやはり甘くない。そして、ああこれはマズいかな、と思う。
悪い予感は当たる。7回裏、6番小川拓真(中大)のセンターへの打球を小林がまたも後逸。二塁代走に島田隼斗(中大)が送られ、さあ勝負だ。そして井村滋(国学大)はやすやすと投前犠打を決める。一死三塁。こういう場面は一気呵成に。8番道端俊輔(早大)は、初球を叩いて左犠飛とした。明治安田生命、勝ち越しだ。
オールフロンティアに、跳ね返す力は残っていなかった。8回裏からは高橋京が無念の降板。同じく東都、こちらは三部大正大のエースだった金子弥聖が登板し好投する。

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二部三部入替戦での孤軍奮闘ぶりが、印象深い。金子さん、やっと三部校が、二部校に勝てるようになったよ…後輩の大黒一之(現エイジェック)も頑張ったよなあ、などと思っている間に、オールフロンティアの9回表は無得点。奮闘むなしく、敗退である。

なんだろう…前半は結構押し気味に進めていたが、オフロはタイムリーが出なかった。明安もお世辞にも強力打線とは言えないが、点差はチームとしての経験値の差なんだろう。道端の初球犠飛は粘り強い明治安田生命の象徴かな。オールフロンティアはセンター小林がちょっと突っ込みすぎたり、勝ちを焦ったかなあ…。高橋裕也をもちっと攻略できたら全然違っただろう。できそうな感じはした。しかし、二大大会常連のチームに勝つのはやはり甘くないのか。たとえ、黒獅子旗獲得にに貢献した大エースをしても…。
そんなことを考えた。
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見方を変えれば、明治安田生命は、高橋京介への「雪辱」を果たしたと言えようか。

さて、日本選手権の決勝が終わった11月の今さら、こんなことを書いとります。社会人野球に本格的に初めて手を出した今年の総まとめをしなきゃな、と思った次第です。気が向いたら、観戦した試合についていろいろ思い出しながら、書いていきます。

越境し、融合しあう人文社会科学ー佐々木和貴編『文化現象としての近代ー吉村伸夫遺稿集ー』ー①

今回、ご紹介するのは、佐々木和貴編『文化現象としての近代ー吉村伸夫遺稿集ー』である。

文化現象としての近代―吉村伸夫遺稿集

文化現象としての近代―吉村伸夫遺稿集

 

この本は、英文学者・吉村伸夫の遺稿集である。 吉村伸夫は1947年生まれ。同志社大学文学部英文学科を卒業後、同大学文学研究科英文学専攻修士課程を修了。夙川学院短期大学英文科の講師を経て、鳥取大学教養部講師、教育学部教授、地域学部教授を勤めた。2014年没。編者となった佐々木和貴も英文学者であり、秋田大学教育文化学部教授である。

正直、一般的にはドマイナーな本である。大きなくくりとしては英文学に分類される本なので、西洋史学プロパー(しかも、イングランド専門ではない)の僕からするとなかなか手に取り辛い本である。

では、なんでそのような本を紹介するに至ったか。その理由は、吉村が鳥取大学地域学部の教授だったことによる。僕の出身地は、鳥取県鳥取市だ。友人には、地元の鳥取大学に行く人がそれなりに多かったわけだが、そのなかで、地域学部に進学した友人が次のように話していた。

「地域学部の講義のなかで一番面白いと思うのは吉村先生の講義だ。あの先生は知識の塊のような人だ」。

「知識の塊」というように他人に思わせることって、大学教授といえども、そう簡単ではないのではないか。もちろん、専門分野に関する、深い知識、そして研究力がなければ大学教授にはなれない。しかし、数々の大学教授に講義や、ゼミを受けてきた僕としても、「知識の塊」という印象を受けた教授はあまりいない(自分のことを棚に上げた妄言をゆるされよ)。そもそも、専門分野への知識を垣間見るだけでは、そのような印象にはなり得ない。臆断の域を出ないが、様々な分野に通暁している人物に対して初めて、そのような印象を持つに至るのではないか。そんな印象を抱かせる吉村とは、どんな人なのだろう…ふとそんなことを思ったが、深く調べる気はおきなかった。

大学2年次のゴールデンウィーク中に帰省した際、その友人に誘われて、鳥取大学の講義は潜って聴講したことがある。しかし、吉村は既に鳥取大学を退官しており、謦咳に接することはかなわなかった。その時、友人から大学図書館を除籍になった吉村著の『マーヴェル詩集』という本を渡され、価値がわからなかった当時の僕は「なぜこんな本を突然渡すのか…」と辟易した思い出がある。

マーヴェル詩集―英語詩全訳

マーヴェル詩集―英語詩全訳

 

時は流れて、僕は西洋史を学び、大学院に進学した。大学院では、鳥取大学で昔教えていたという教授がいらっしゃった。吉村のことも知っているという。昔湖山池を一緒にボートを漕いで渡ったもんだよ、と話してくださった。そう話して、すぐに思った。そうだ、その吉村伸夫という学者は今何をしているのだろう…とネット検索をかけてみた。すると、吉村のホームページが出てきた。しかし、3年前に既に永眠した、と、トップページには出ていた。大学院の教授も、永眠されたことは知らなかったようだ。非常にびっくりした。

もっと調べると、遺稿集まで出ているそうではないか。いささか専門性は高そうだが、友人をして「知識の塊」と言わしめた、その文章に触れてみたい。そう思い、購入して読んでみた。以上が、この本を紹介するに至った顛末だ。ヨーロッパ(特にイングランド)に関する本だが、僕のなかでは、どちらかというと郷土本に属する種類の本でもある。

前置きが長くなった。では、この本と吉村の研究の紹介をしていこう。そして、何分この本の記述範囲が広いし門外漢ではあるが、少しばかり僕が考えたことも書いてみたい。

本書は、吉村の論文や発表をまとめたものになっている。吉村の文章を読むと、カバーしている分野が非常に広い。英文学から政治哲学、社会学文化人類学、そしてビッグ・ヒストリーまで。本当に英文学者なのか? と思わされる。なんで英文学者の論文で、ポランニーだの、ハーバーマスだの、キムリッカだの、ヌスバウムだの、テイラーだの、ニ―バーだの出てくるのだろう。もとの吉村の専門は、17世紀イングランドの詩人であるアンドルー・マーヴェルであるはずだが、なぜここまで広まったのだろう。2013年に鳥取大学で行われた最終講義の「ホモ・サピエンスとしての自分を考える」中にある、吉村の言を引こう。

研究者としての僕は、我ながら病的と言わざるを得ないほど、一貫して学際的であり続けてきました。その学際的関心の対象は、思想・哲学・歴史・神学といった人文系だけでなく、先ほど言及したマーヴェルが国会議員だったことに関わりがあるのですが、政治一般や法律関連の事柄、制度史なども、最初から専門の一部とみなしてきました。そうなると、当然ながら社会系の学問領域一般も専門的関心の対象ですし、事情があって大学は文系に進みましたが、知的素質から言えばまちがいなくいわゆる理系なので、自然系の学問領域にも強い関心を抱いてきました。(p.130)

こんな風に言う専門的研究者は、私は寡聞にして吉村の他に知らない。しかし、それほどまでに吉村の関心は広い。

 吉村の専門であるアンドルー・マーヴェルは、その前半生で抒情詩を書いている。このロマンティックな詩によって、マーヴェルは、いわゆる17世紀イングランドの「形而上派詩人」の1人に目される。しかし、その後半生に下院議員となったマーヴェルは、ピューリタン革命期の王政復古の時代のなか、反宮廷・反カトリックとして、政治的世界に身を投じていく。そして、ロマンティックな色彩は一切ない、政治諷刺詩や論争散文、さらには議会報告等の書簡ばかりを書いていくようになる。英文学研究者は前半生の抒情詩には興味を持つが、後半生の世俗的・政治的な作品にはあまり手をつけない。「文学的価値がない」という理由からだそうだ。そして抒情詩ばかりを読んで、「マーヴェルは謎だ」などと言う。

吉村は、そのような状況に真っ向から異を唱える。後半生の世俗的・政治的な作品を知らずして、マーヴェルの全体像が知れようか、と。しかし、後半生の作品を理解しようと思うと、文学研究の範囲内ではそもそも読みこなすことが難しい。作品が置かれている「社会的文脈」、すなわち当時の政治制度や社会慣習にに知悉することが求められるからだ。しかし、吉村は、文学研究者以外の歴史学研究者、政治史研究者等の助けを借りながら、マーヴェルの全体像の研究を行い、『マーヴェル書簡集』、『リハーサル』散文版の翻訳を行った。

マーヴェル書簡集―王政復古時代イングランドへの窓として

マーヴェル書簡集―王政復古時代イングランドへの窓として

 
「リハーサル」散文版 (アンドルー・マーヴェル散文作品)

「リハーサル」散文版 (アンドルー・マーヴェル散文作品)

 

吉村は、これらの研究を通し、次のような考えを持つに至る。 

「視界を切り開く」作業は、特定のテクストの理解のために、いわゆる文学的解明を行うのみならず、広義の歴史学で扱う種々の資料や研究文献をも読み重ね、思索することに他ならない。このような過程を通じて得られた知識と理解は、テクストのいわば局地的疑問をきっかけとしているには違いないが、結果的には、そのテクストを生み受け入れた社会の全体像についての知識と理解という性格も、作業の性質上、濃厚に備えている。(「文学者にとっての王政復古時代イングランドを考える」p.33)

私自身、歴史学を少しばかりかじった身として、吉村の言いたいことが理解できる(ような気がする)。哲学研究や文学研究の著作や論文等を読んでいると、どうしてもテクストの外の社会的文脈に目を向けることが、ないとは言わないが少ないような気がする。

とはいえ、文学と社会の関係についての研究はいくらでもあるだろうが、私は不勉強のため、それを語れるほどの知識を持ち合わせていない。ただ、吉村の議論を聞いていて、少しばかり思い出したのが、グラフトンの「インテレクチュアル・ヒストリー」の議論だ。数年前、グラフトンの『テクストの擁護者たち』という著作が紹介され、話題になった。

テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)

テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)

 

 この著作のなかでは、ルネサンス期~近代ヨーロッパにおいて、ホメロス叙事詩や聖書などなど、権威ある「古典」と目されるものがいかに「古典」と目されるに至ったかを解き明かしている。いわばテクストの「読み方」の歴史であり、テクスト(古典)とコンテクスト(社会的文脈)の相互影響関係を論じた著作である。インテレクチュアル・ヒストリーには定まった方法論はないようだが、最大公約数的な意味を言うならば、テクストを教訓的に不変にして普遍のものとして読むのではなく、歴史主義的に、時代によって制約を受けたものとして読み、精神史・思想史(あるいは文学史も)を論じていくということになろうか。

近代政治思想史家のスキナーの以下の本も、インテレクチュアル・ヒストリーを考える上で非常に示唆的なようだ。読んでみたい。

思想史とはなにか―意味とコンテクスト (SELECTION21)

思想史とはなにか―意味とコンテクスト (SELECTION21)

 

さて、吉村の方法論がインテレクチュアル・ヒストリーに分類されるかはともかく、吉村はこのマーヴェルの全体像を追い求めた経験を基礎に、英文学研究にとどまらず、17世紀イングランドの社会全体、そして「近代市民社会」とはなんだったのか、という謎に、人文社会科学の諸学問を越境しながら、取り組んでいくことになる。

例えば、本書における表題論文である「文化現象としての近代」においては、17-18世紀のイングランド社会がまさにエリアスの言うところの「文明化」の真っ只中にあったことが、17世紀散文の文体の混乱・次の18世紀散文における規範の出現と、シティズンたる要件であるcivility概念の当時における暗中模索から説明される。ハーバーマスの言うところの「公共圏」での議論が可能になったのは、各人がcivilityを持ち、お互いのプライバシーに踏み込まないことを前提としたことによる、という。私は、まだまだエリアスも、ハーバーマスも十分に読み込めていない。ドイツ近代国家を論じるエスライヒの「規律化」論も含めて、近世から近代への移行過程を知るべく、まとめてきちんと勉強したい。しかし、英文学者として当時の散文を「道具」にしつつ、社会学の知見のなかに落とし込むのは、まさに学際的だ。

文明化の過程・上 〈改装版〉: ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

文明化の過程・上 〈改装版〉: ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

近代国家の覚醒―新ストア主義・身分制・ポリツァイ

近代国家の覚醒―新ストア主義・身分制・ポリツァイ

 

 本書のなかでは、「アルカディアに佇む市民としてのマーヴェル」という論文もまた示唆的だ。吉村によると、政治哲学者テイラーが『自我の源泉』で提唱したdisengagement(吉村訳:切り離し)の概念を援用すると、マーヴェルの抒情詩は、科学者ボイル、哲学者ロックの仕事と同列に「近代市民社会の文化」として語ることができるという。

自我の源泉―近代的アイデンティティの形成―

自我の源泉―近代的アイデンティティの形成―

すなわち、近代以前の社会においては、神が世界を作った「コスモス」という世界観だったのに対し、近代以降では世界は科学的に捉えられうる「ユニヴァース」となる。「コスモス」の世界観においては、人間主体=自己もその一部であり、世界全体たる「マクロコスモス」に対応する「ミクロコスモス」である。しかし、「コスモス」とは違い「ユニヴァース」は人間主体=自己はもはやその一部ではないため、客体化される。同時に、「ミクロコスモス」ではなくなった人間主体=自己も客体化される。これがテイラーの言うところの「切り離し」である。ロックの自己像もまさにそれであり、自己はコスモスの一部ではなく、快楽原則に則った「感情」と、世界を観察・分析する「理性」によって世界像・自己像を作り上げていく、拡張しない「点としての自己」である。ボイルについては吉村はほとんど触れていないが、吉村も引いているシェイピンの次の著作は参照しなければならないだろう。

リヴァイアサンと空気ポンプ―ホッブズ、ボイル、実験的生活―

リヴァイアサンと空気ポンプ―ホッブズ、ボイル、実験的生活―

 

さて、ロックやボイルの仕事と同じく、「コスモス」から「ユニヴァース」への変化、「切り離し」の概念が発生する文脈に、マーヴェルの"The Coronet"(花冠)という詩を位置付けることができるのだという。この詩の話者(詩人)は、「宮廷的世界」に生きていた詩人であるが、信仰に目覚めて過去を反省し、キリストを讃える詩を編もうとする。そして、その詩は、キリストの痛々しい棘の冠を掛けかえるために編む、と話者は考える。しかし、そのなかには、蛇が編み込まれてしまった。結局、キリストへの純真素朴の境地には至れず、不純物が混じってしまったのだ。そして、キリストに、いっそこれなら花冠ごと踏みつぶして欲しい(=詩を捨てる)、と願うわけである。

この詩を編んだころのマーヴェルは、いわば「コスモス」、ないし「理想郷」=「アルカディア」であるフェアファクス卿の所領アップルトンで抒情詩を書いていたと思われる。しかし、そこを離れ、いわば「ユニヴァース」であるロンドンの政治的な世界に、彼は飛び出していくことになる。この詩の話者は、いわばマーヴェルの自己投影であるが、詩人が詩を捨てたように、マーヴェルは抒情詩を捨てることで、「コスモス」を捨て「ユニヴァース」に「市民」として飛び込む決意をした、と吉村は解釈する。

ロンドンに行って以降のマーヴェルは、他の散文家と違い、異様なまでに、非常に多種多様な文体を駆使した。この事実を吉村は、「主体である自己が過剰に客体化され、観察・操作の対象になっている」ことの反映であると捉える。これこそテイラーのいうところの「切り離し」である。そしてそういった「切り離し」を経て、マーヴェルは「アルカディア」たるアップルトンを棄て、近代市民社会の「市民」となったのだ、と吉村は解釈する。先ほどの「文化現象としての近代」論文と同じく、人文科学たる英文学と社会科学たる政治哲学を越境した、総合的で、非常に読み応えのある論文である。

大学院で勉強をしていると、やはり専門である〇〇学を深めていく方向になるため、他の学問の成果を摂取することはそれほど簡単ではない。安易に飛びついて援用しても、痛い目を見ることはたくさんあるからだ。しかし、それでも、〇〇学のなかに固執して考え続けるのはどうなのか、と思ってきた。吉村の所論の数々を読み、総合的に何かを理解するためには学問の垣根を超えなくてはならない、ということを痛感させられた。もちろん、言うは易し、なのだが。しかし、「学際化」と称して様々なシンポジウムが開かれているが、他専攻同士による、共同研究の域を出ないものも多いのではないか?学際化の時代のなか、「自分のなかに」学際性を幅広く持とうとし、人文社会科学の海をわたる吉村の姿勢には、学ぶべきものはたくさんあるのではないか。そんなことを考えた。

吉村の視野はマーヴェルを超えて近代市民社会全般に移り、そして最終的には人間存在そのものへと移る。そして、2013年の最終講義「ホモ・サピエンスとしての自分を考える」が行われることになる。続きは稿を改めて書くことにしよう。

「症例」にとどまらない「人物誌」への愛、そして「多様性」への寛容ーオリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』ー

 今回、ご紹介したいと思うのは、オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』。

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

オリヴァー・サックスは、1933年ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業後渡米し、医学エッセイを数多く発表した。『レナードの朝』という医療ノンフィクション映画は著名だが、その原作者として有名である…らしいが、僕はサックスの存在を知るまでその映画のことは存じ上げなかった。2015年没。

ネット上でたまたま目についたため、図書館で何冊か借りて、このサックスの本を読んでみることに。

まったく門外漢なので詳言は避けるが、医療ドキュメントって①患者を巡るドラマ(感動か、あるいは悲しみかはわからないが)か、②症例自体か…の2つのどちらかに興味が偏ったものが多いのではないかと思う。ド文系かつ感動ものがあまり得意ではない(嫌いと言うわけではないが)の僕は、あまり読んだことのないシリーズだった。

サックスの本を読むのに合わせて、地元鳥取で有名な医師・徳永進の『野の花ホスピスだより』という本も借りて読んでみたが、どちらかというと患者を巡るドラマに寄っている。舞台がホスピスケアということもあるから、患者と周囲の人々の死生観等に話が寄ってしまうのは当然と言えば当然なのだが。とはいえ、徳永進の本は地元にいるころから読みたいと思っていた。折に触れてまた書評を記したいと思う。 

野の花ホスピスだより

野の花ホスピスだより

 

 話がそれたが、このサックス『妻を帽子とまちがえた男』は、患者をめぐるドラマにも、症例自体にも、どちらにも偏らない。「どっちもカバーしている」という表現が適切だろうか。 サックスの本は、無味乾燥な症例報告にとどまらない魅力を持ち、医学の門外漢にも非常に読み応えがある。そして、サックスの文章には「患者をめぐるドラマ」に焦点を当てているコンテンツにありがちな「お涙頂戴」感がない。もともとサックスが非常に学究肌で、

自然科学者と医者との両方である(p.9)

ことを自認し、独特な感性を持っていることと関係があるのだろう。「患者をめぐるドラマ」に話を及ばせながらも、冷静で、透徹した文章を紡いでいる。「ドラマ」というか、学問的なその書き方は「人物誌」という表現に近いような感じもする。

表題の「妻を帽子とまちがえた男」のケースは、本書の冒頭で出てくる。音楽学校の教師Pは、何かの物を見ても、それを抽象化して、把握することができない。例えば「バラ」や「手袋」である。それらの物を見ても、視覚認知に問題はなく、例えばバラについては「約3センチありますね。ぐるぐると丸く巻いている赤いもので、緑の線状のものがついている」(p.40)などと非常に具体的にその特徴を捉えることができるが、そういった情報が「バラ」という概念につながってこないのだ。これは、一種の失認症であるという。そして、Pは、靴を脱がなければならない反射テストの後に、自分の「靴」と「足」を間違える。そして、テストが終わりサックスの元を去ろうとする際に、

帽子をさがしはじめていた。彼は手をのばし、彼の妻の頭をつかまえ、持ちあげてかぶろうとした。妻を帽子とまちがえていたのだ!(p.35)

という状況になる。なんとも理解し難い出来事であるし、本人の苦労はいかばかりか、と同情を禁じ得ない状況であるが、サックスの出来る限り中立な筆は止まらない。冷静に、着実にPの生活状態を観察していく。どうやら、音楽学校の教師らしく、「音楽」がキーワードであるようだ。自分で常にハミングを歌いながら、リズムにのせて普段のルーティンワークをこなし、なんとか生活しているということがわかる。しかし、それがわかって以降、サックスはPと医師として関わることはなかったという。

このように、奇妙(失礼)な症例が、患者の人物誌と共にたくさん出てくる。自分の前を通りかかる人の真似をせずにはいられない人、梅毒によって生まれ変わったように明るく「なりすぎて」しまった人、体が傾いていることがまったくわからない人。その症例と患者の人生の来歴が非常に豊富に語られる。

 基本的に中立的なサックスの筆致だが、時おりその感情を露わにすることがある。特に、知的障害の患者に関する記述で出てくることが多いように感じた。

第四部「純真」においては、さまざまな知的障害者が出てくる。そのなかには、「数字にのみ特異な才能を示す双子の兄弟」登場する。その2人は、111本のマッチが床に落ちると、「111」という数字が即座に「見える」と言えるし、双子の2人で、6桁の素数をその場で言い合うことができた。サックスは彼らのそうした世界を理解し、数が2人の無数の「友だち」(p.374)だったのだ、と評価した。しかし、その後、素数を言い合う2人の世界は、2人が引き離されることによって崩壊する。「しかるべき社会性」(p.375)をつけるために、2人は施設に別々に入れられ、つまらない単純労働をさせられ、バスに乗ることや、移動ができるようにはなった。しかし、少しの社会性を引き換えに、彼らは数に関する特異な能力を失ってしまった。当時の社会では、その社会性の獲得こそが大事だと考えられていた。

サックスは、このような状況に異を唱える。数学に関する彼らの特異な能力は、「彼らの人生の中心」(p.377)であり、それが失われてしまっては、

彼らの人生にはなんの意味もないし、中心もまたなくなってしまった(p.377)

と断言する。障害者の特異な、そして得意なことを奪う状況への激しい憤りが、そこには感じられる。この双子の症例の次に出てくる、「自閉症の芸術家」の節においては、自閉症であり、非凡な絵の才能を持った患者が出てくるが、そこでもサックスは、その絵の能力を生かせる仕事に就かない限り、

他の多くの自閉症の者とおなじように、州立病院の奥まった病棟で無為な日々を送ることになるだろう(p.416)

と言う。

なぜ普段は冷静なサックスは、障害者が、もっといえば患者が自分らしく生きることに関して、ここまで感情を露わにするのだろう? これは、彼の自伝『道程』に書かれた、特異な来歴と大いに関係があるのだろう。 

道程:オリヴァー・サックス自伝

道程:オリヴァー・サックス自伝

 

 サックスは、医者の一家に生まれたが、順風満帆な人生というわけではなかったという。同性愛者であり、古い価値観を持つ母親から忌むべき存在と見られたこともあった。すさまじく学問的視野が広く、連想能力等には長けていたものの、簡単な試験等に落第するなど得意不得意がはっきりしていた。そして、人の顔が見分けられない、相貌失認という障害も患っていた。そして、30代中盤まで薬物に手を染めていた。

その後、30代後半頃から、彼は著述を始め、『サックス博士の片頭痛大全』を皮切りに、たくさんの書物を残し、人生を好転させた。しかし、彼の前半生はとにかく、「マイノリティー」であることに苛まれ続けた人生であった。そんなサックスだからこそ、社会に適応できない患者(いわば「マイノリティー」である)の「多様性」に対して寛容に接することができ、彼らが「自分らしく」生きることの大切さを声を大にして訴えたかったのだろう。

サックスが『妻を帽子とまちがえた男』の文中で活躍した時代は、まだまだノーマライゼーションの概念の浸透も薄い時代であり、このようなサックスの考えが簡単に受け入れられる状況ではなかったことが推察される。現代では、障害者や高齢者が自分らしく生きることが当時よりは浸透してきているだろう。しかし、まだまだその道は半ばだ。例えば、テレビ番組でも、NHKEテレで、教条主義的だった『きらっといきる』が終了し、障害者のありのままを映す『バリバラ』が始まってからまだ10年経っていない。

サックスが亡くなってまだ4年だが、この『妻を帽子と間違えた男』が著されてからは34年の月日が経っている。しかし、愛すべき「変わり者」博士が残したメッセージは現在でも変わらない光を放つ。彼の他の著作を、これからも読むことになりそうだ。