尚後哲を俟つ

読んだ本の書評やアマチュア野球の観戦記、日々の雑感をつぶやいていきます。

「症例」にとどまらない「人物誌」への愛、そして「多様性」への寛容ーオリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』ー

 今回、ご紹介したいと思うのは、オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』。

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

オリヴァー・サックスは、1933年ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業後渡米し、医学エッセイを数多く発表した。『レナードの朝』という医療ノンフィクション映画は著名だが、その原作者として有名である…らしいが、僕はサックスの存在を知るまでその映画のことは存じ上げなかった。2015年没。

ネット上でたまたま目についたため、図書館で何冊か借りて、このサックスの本を読んでみることに。

まったく門外漢なので詳言は避けるが、医療ドキュメントって①患者を巡るドラマ(感動か、あるいは悲しみかはわからないが)か、②症例自体か…の2つのどちらかに興味が偏ったものが多いのではないかと思う。ド文系かつ感動ものがあまり得意ではない(嫌いと言うわけではないが)の僕は、あまり読んだことのないシリーズだった。

サックスの本を読むのに合わせて、地元鳥取で有名な医師・徳永進の『野の花ホスピスだより』という本も借りて読んでみたが、どちらかというと患者を巡るドラマに寄っている。舞台がホスピスケアということもあるから、患者と周囲の人々の死生観等に話が寄ってしまうのは当然と言えば当然なのだが。とはいえ、徳永進の本は地元にいるころから読みたいと思っていた。折に触れてまた書評を記したいと思う。 

野の花ホスピスだより

野の花ホスピスだより

 

 話がそれたが、このサックス『妻を帽子とまちがえた男』は、患者をめぐるドラマにも、症例自体にも、どちらにも偏らない。「どっちもカバーしている」という表現が適切だろうか。 サックスの本は、無味乾燥な症例報告にとどまらない魅力を持ち、医学の門外漢にも非常に読み応えがある。そして、サックスの文章には「患者をめぐるドラマ」に焦点を当てているコンテンツにありがちな「お涙頂戴」感がない。もともとサックスが非常に学究肌で、

自然科学者と医者との両方である(p.9)

ことを自認し、独特な感性を持っていることと関係があるのだろう。「患者をめぐるドラマ」に話を及ばせながらも、冷静で、透徹した文章を紡いでいる。「ドラマ」というか、学問的なその書き方は「人物誌」という表現に近いような感じもする。

表題の「妻を帽子とまちがえた男」のケースは、本書の冒頭で出てくる。音楽学校の教師Pは、何かの物を見ても、それを抽象化して、把握することができない。例えば「バラ」や「手袋」である。それらの物を見ても、視覚認知に問題はなく、例えばバラについては「約3センチありますね。ぐるぐると丸く巻いている赤いもので、緑の線状のものがついている」(p.40)などと非常に具体的にその特徴を捉えることができるが、そういった情報が「バラ」という概念につながってこないのだ。これは、一種の失認症であるという。そして、Pは、靴を脱がなければならない反射テストの後に、自分の「靴」と「足」を間違える。そして、テストが終わりサックスの元を去ろうとする際に、

帽子をさがしはじめていた。彼は手をのばし、彼の妻の頭をつかまえ、持ちあげてかぶろうとした。妻を帽子とまちがえていたのだ!(p.35)

という状況になる。なんとも理解し難い出来事であるし、本人の苦労はいかばかりか、と同情を禁じ得ない状況であるが、サックスの出来る限り中立な筆は止まらない。冷静に、着実にPの生活状態を観察していく。どうやら、音楽学校の教師らしく、「音楽」がキーワードであるようだ。自分で常にハミングを歌いながら、リズムにのせて普段のルーティンワークをこなし、なんとか生活しているということがわかる。しかし、それがわかって以降、サックスはPと医師として関わることはなかったという。

このように、奇妙(失礼)な症例が、患者の人物誌と共にたくさん出てくる。自分の前を通りかかる人の真似をせずにはいられない人、梅毒によって生まれ変わったように明るく「なりすぎて」しまった人、体が傾いていることがまったくわからない人。その症例と患者の人生の来歴が非常に豊富に語られる。

 基本的に中立的なサックスの筆致だが、時おりその感情を露わにすることがある。特に、知的障害の患者に関する記述で出てくることが多いように感じた。

第四部「純真」においては、さまざまな知的障害者が出てくる。そのなかには、「数字にのみ特異な才能を示す双子の兄弟」登場する。その2人は、111本のマッチが床に落ちると、「111」という数字が即座に「見える」と言えるし、双子の2人で、6桁の素数をその場で言い合うことができた。サックスは彼らのそうした世界を理解し、数が2人の無数の「友だち」(p.374)だったのだ、と評価した。しかし、その後、素数を言い合う2人の世界は、2人が引き離されることによって崩壊する。「しかるべき社会性」(p.375)をつけるために、2人は施設に別々に入れられ、つまらない単純労働をさせられ、バスに乗ることや、移動ができるようにはなった。しかし、少しの社会性を引き換えに、彼らは数に関する特異な能力を失ってしまった。当時の社会では、その社会性の獲得こそが大事だと考えられていた。

サックスは、このような状況に異を唱える。数学に関する彼らの特異な能力は、「彼らの人生の中心」(p.377)であり、それが失われてしまっては、

彼らの人生にはなんの意味もないし、中心もまたなくなってしまった(p.377)

と断言する。障害者の特異な、そして得意なことを奪う状況への激しい憤りが、そこには感じられる。この双子の症例の次に出てくる、「自閉症の芸術家」の節においては、自閉症であり、非凡な絵の才能を持った患者が出てくるが、そこでもサックスは、その絵の能力を生かせる仕事に就かない限り、

他の多くの自閉症の者とおなじように、州立病院の奥まった病棟で無為な日々を送ることになるだろう(p.416)

と言う。

なぜ普段は冷静なサックスは、障害者が、もっといえば患者が自分らしく生きることに関して、ここまで感情を露わにするのだろう? これは、彼の自伝『道程』に書かれた、特異な来歴と大いに関係があるのだろう。 

道程:オリヴァー・サックス自伝

道程:オリヴァー・サックス自伝

 

 サックスは、医者の一家に生まれたが、順風満帆な人生というわけではなかったという。同性愛者であり、古い価値観を持つ母親から忌むべき存在と見られたこともあった。すさまじく学問的視野が広く、連想能力等には長けていたものの、簡単な試験等に落第するなど得意不得意がはっきりしていた。そして、人の顔が見分けられない、相貌失認という障害も患っていた。そして、30代中盤まで薬物に手を染めていた。

その後、30代後半頃から、彼は著述を始め、『サックス博士の片頭痛大全』を皮切りに、たくさんの書物を残し、人生を好転させた。しかし、彼の前半生はとにかく、「マイノリティー」であることに苛まれ続けた人生であった。そんなサックスだからこそ、社会に適応できない患者(いわば「マイノリティー」である)の「多様性」に対して寛容に接することができ、彼らが「自分らしく」生きることの大切さを声を大にして訴えたかったのだろう。

サックスが『妻を帽子とまちがえた男』の文中で活躍した時代は、まだまだノーマライゼーションの概念の浸透も薄い時代であり、このようなサックスの考えが簡単に受け入れられる状況ではなかったことが推察される。現代では、障害者や高齢者が自分らしく生きることが当時よりは浸透してきているだろう。しかし、まだまだその道は半ばだ。例えば、テレビ番組でも、NHKEテレで、教条主義的だった『きらっといきる』が終了し、障害者のありのままを映す『バリバラ』が始まってからまだ10年経っていない。

サックスが亡くなってまだ4年だが、この『妻を帽子と間違えた男』が著されてからは34年の月日が経っている。しかし、愛すべき「変わり者」博士が残したメッセージは現在でも変わらない光を放つ。彼の他の著作を、これからも読むことになりそうだ。