尚後哲を俟つ

読んだ本の書評やアマチュア野球の観戦記、日々の雑感をつぶやいていきます。

鳥取人にとっての社会人野球、思うこと

(ことしの都市対抗期間中に書いたFacebookの投稿を転載)

今、都市対抗野球が熱いです。特に出場唯一のクラブチームである信越クラブ(長野市)の、JR東日本東北(仙台市)への健闘は感動しました。今回はジャイアントキリングはならなかったけど、NTT信越からクラブチーム化して約20年、まだまだ健在であるところをまざまざと見せつけてくれました。部員数は他の企業チームと比して少なく、クラブ存続も安泰ではないようです。選手たちはNTT関連の企業を中心に様々な企業に所属しているようですが、練習環境も決して恵まれたものではなく、地域社会の協力もあったに違いありません。地方出身の私からすると、「おらが町のチーム」にはやはり凄く思い入れがありますから、そのチームをなんとか繋げたい、という方たちの気持ちはよくわかります。
 私は鳥取県鳥取市の出身ですが、もともとの実家は鳥取県米子市にあります。現在、鳥取県内で活動している硬式の社会人野球チームはありません。昔、王子製紙米子というチームがありましたが、王子製紙本体の野球部に吸収されました。一昨年、甲子園に出場した米子松蔭高校の笠尾幸広監督は、六大学の法政で活躍された選手でしたが、王子製紙米子でプレーをされていたと聞いています。鳥取市から米子市に車で向かう際、日吉津村に入ったあたりで、王子製紙米子工場の偉容が目に入ります。そして、あの製紙工場特有の匂いが鼻につき、「あー、米子に帰ってきたな」と毎回思います。王子製紙米子の野球部は結局社会人二大大会への出場はかなわず、その歴史に幕を閉じましたが、王子製紙は今でも米子の象徴の1つです。野球部の活動拠点だった「王子球場」は、今でもあるようです。
 さて、私の出生地たる鳥取市には社会人の硬式野球チームはありませんでしたが、軟式の強豪チームがありました。下の記事に出てくる、三洋電機鳥取(旧称・鳥取三洋電機)です。このチームは、私の母校である鳥取東高校のほど近く、同じ鳥取市立川町にあったチームです。野球部の練習グラウンドも、下校時によく見ていました。私は幼稚園も同じ立川町の修立幼稚園であり、幼稚園時代の運動会を三洋電機の体育館でしたことを微かに覚えています。そんな身近なチームの野球部が全国制覇をしたのが私の高校3年の時です。これは本当に嬉しかった。鳥取のような田舎で、自分の眼と鼻の先にあるようなチームが全国優勝するなんて、なかなかない経験だったのではないかと思います。甲子園では初戦敗退が多く、大学以上のチームも少ない鳥取県の球界ですが、鳥取野球の「強さ」をまざまさと見せつけてくれた優勝でした。
 鳥取東高校近くに広がる三洋電機の工場群は、企業城下町たる鳥取市の象徴でした。しかし、不況の波に晒され、三洋電機は消滅し、この記事の次の年にはパナソニックの傘下に入ります。野球部はパナソニック鳥取と名前を変え、全国2連覇を果たしました。しかし、さらに次の年にはパナソニックの経営方針により鳥取軟式野球部は廃部となり、クラブチーム化。今でも活動は続いているのかは、よくわかりません。三洋電機の工場群も今はもうなく、工場跡地は更地になったり、県が誘致した別の企業の工場が入ったりしているようです。
 廃部が決まったいすゞ自動車都市対抗野球で全国制覇し、有終の美を飾った例を持ち出すまでもなく、突然チームが出来たり、なくなったりするのが社会人野球です。しかし、もう私には鳥取に応援すべき企業チームがなくなってしまったのかなあと思うと、やはり少し寂しいです。
 今回の都市対抗では、一番地元に近いJFE西日本(福山市倉敷市)とシティライト岡山(岡山市)を応援しています。いつか鳥取にもまた企業チームが出来てくれることを期待しながら、明日の両チームの健闘を祈っています。

↓2011年9月23日付け、三洋電機鳥取天皇賜杯軟式野球大会優勝を伝えるスポーツニッポンの記事
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/23/kiji/K20110923001676330.html